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冨田勲さん・手塚るみ子さんのトークショー

手塚治虫記念館開館20周年記念トークショー
冨田勲の音楽宇宙~ジャングル大帝から」初音ミクまで~
を昨日宝塚市立宝塚文化創造館で聞いてきました。ちょっと長くなりそうなので↓にたたみます。

冨田さんは17作品も手塚作品に関係していらっしゃるそうで
東映動画の「西遊記」のときに手塚先生と初めて会われてやさしくはにかんで話す姿が印象的だったとか。
その後1962年の「アラビアンナイト・シンドバッドの冒険」で初めて一緒に仕事をされたそうです。
その頃のアニメといえばディズニーが4年かけて映画を作っていて
東映動画はやくざ映画が当たってお金に余裕があり、時間も4年かけて作っていいということで
そういう緊迫感のない現場は手塚先生にはあわなかったようで
アニメ作りはもっとコンパクトにできるはず、とその後
今まで4年かけて作っていたアニメを創意工夫により1週間に1回放送するアトムのアニメ放送を開始。
その後ジャングル大帝をカラーで制作するにあたって
海外に通用するものを作りたい、
そのためには音楽に力を入れたい、
と手塚先生からじきじきに電話がかかってきたそうです。
その電話というのが手塚先生は電話に出るまでずっと電話を鳴らし続けるんですね。
昔は携帯がなかったので電話が鳴ったら電話のある場所まで自分が行かなければなりません。
一度夜中に電話がかかっても出たもんだから
冨田さんは夜中に電話をかけても出てくれると思われたようで
でも夜中にいつも起きているわけではないので
眠っているときにかかってくる電話に出るのがつらかった、と話されてました。
でもその話し方が全然つらそうじゃないんですね^^
手塚先生のこだわり方が尋常じゃない、
まわりにいると巻き添えをくう、
でもそばにいるといつのまにか充電される、
と冨田さんが話されるのに、るみ子さんが
巻き添えのあとのくたびれ感としあわせ感を一緒に味わいたかった、
と話されたのが印象的でした。

さてその手塚先生が夜中に電話をかけてきたこだわりというのが
ジャングル大帝のOPはチャイコフスキーの5番?のようなイメージで、ということで
冨田さんが1オクターブ音を上げたのがレオの雄叫びのようでよいと思うのに
手塚先生はそのメロディは破天荒だとおっしゃる。
冨田さんはそうは思わない。
で、手塚先生はそのメロディを変えて、と電話をかけてくるのに
冨田さんはそれしか思いつかない、と応酬。
結局冨田さんの考え通りで曲が完成して
冨田さん「(手塚先生から)ぼくの考えがまちがっていた、と一言あってもよかったんじゃないかな」
るみ子さん「いじっぱりなので・・」
などと何度も笑いの起こる楽しいトークショーでした^^

その頃の手塚先生は本当にお忙しくて
誰それとは5分、などと分刻みのスケジュールだったのが
冨田さんとは17分、となっていたそうで
他の方に比べると3倍以上ってジャングル大帝の音楽、それをおまかせする冨田さんとの打ち合わせを大切に思ってらしたんですね。
会場で劇場版のジャングル大帝の録音を聴かせていただいたのですが
流れる音楽で絵が浮かぶようでした・・
冨田さんが手塚イズムの影響を受けた場面として
エライザがつかまってパンジャが助けに行って人間に撃たれてしまう。
人間につかまってしまったのならもうしょうがない、他にもメスライオンはいることだし、とかあきらめずに行くんですね。
そして撃たれてしまうんだけれど生まれてくる子にレオと名付けてくれ、と伝えることはできたんですね。
これが手塚治虫なんだ、
ライオン○ングにはこういうのはないんですね~と^^

冨田さんはシンセサイザーを駆使して音楽を作ってらして
今は初音ミクの音楽も担当されているとか。
るみ子さんがその音楽会?に招待されて行くと、なんとアンコールでミクがリボンの騎士を歌ったそうで。
その様子も映像で見せていただきました♪
るみ子さん、父が生きていたらどんなに喜んだだろうと・・
冨田さんはもう80を超えてらっしゃるのにこんなふうにシンセサイザーやパソコンを駆使して音楽を作ってらして。
もし手塚先生がご存命なら今どんなふうにお仕事をされたのかなあと思います・・

「最後に冨田さんにとって手塚先生とは?」
「ぼくにとっての恩人、偉大な人。」

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