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昨日



昨日は阪大で『阪大生・手塚治虫 ー医師か?マンガ家か?ー』の展示を見て
清水さんの講演「手塚治虫のマンガ・アニメーションの歴史的位置」を聞いて
映画ブッダを見てきました(^^♪

昨日は天気が心配でしたが思ったより雨も酷くなくて助かりました(^^♪

阪大の展示でBJやレオや陽だまりの樹やスリル博士などなど原画を色々見られてまずはほくほくです♪
卒業アルバムや手塚先生が学生の頃出演されたお芝居のパンフレットも飾ってあって、
そこには「手塚治虫」となってて、これはもう先生の芸名なのね~と思ったり^^
がちゃぽい一代記では阪大の教室が描かれてて、卒業アルバムの阪大の教室と見比べてみたり^^
よそで見るよりまさしく「阪大生」の手塚先生を感じることができました(^^♪
思いのほか充実の展示を見た後は清水さんの講演です。
定員60名ということでほとんどの席が埋まっていました。

昔ホテルに泊まったとき、先生はきらきらの広い部屋を用意されたのに、
その部屋は居心地が悪いからと清水さんの普通の部屋と変わって欲しいと言われたことや
夜中に開明墨汁を買いに行かされた話、これは僕を試されたんだろう~と、これはいつもつかみに話されてるんでしょうね^^

手塚先生以前はコマ割りもあまり変化なく登場人物も全身が描かれて、芝居を見るような感じで描かれていた。
手塚先生は映画を見るような緊張感でストーリーを伝えた。
①クローズアップ
 緊張感とスピード感を感じる。

 ディテール・臨場感を感じる。
③効果音
 ”シーーン” これを手描きで書く。
④明暗
 時間、距離の移動がわかる。
⑤モンタージュ
 バンパイヤで月を見ると狼に変身する、など入れ替え
⑥モブシーン
 エキストラ総出演。ダイナミズム。
こういう手法を使って絵+ストーリーのストーリーマンガを描いた。

赤本の世界から定期的に出版される雑誌で連載されることによってファンができて自分も描きたい、という人も出て
その人たちが投稿するようになりトキワ荘などに集うようになったりでマンガ家が育っていった。
それまではマンガは日常の滑稽なことや皮肉を扱っていたが、手塚がストーリーマンガを確立して以降
マンガは大人も読むものになっていった。

アニメは1963年1月1日にアトムが放送されてからテレビアニメが始まった。
それまでは2000人が3年かけて90分の映画を1本作る、という感じだった。
それには2万枚の絵が必要だったからだが、
手塚は動きの面白さよりストーリーの面白さを見せようと
バンクシステムや口パクなど絵を動かさない方法を考え、30分で2000枚の絵でアニメを作ろうとした。

外国ではテレビで放送するには暴力はダメ、など規制が厳しく、日本のアニメは初期に5本伝わっただけで以降途絶えていたが、
ビデオの普及で日本のストーリーアニメを見て共感する若者が増えていった。 
などとパソコンの映像を交えながらテーマに沿って話されていました。

質問タイムでも次々手が上がります。
・作品のリメイクについてどう思われますか?
 →もとの作品そのままを作るか参考に違う表現をするか、と2つ考えられるが、
  その人の個性を入れてよいと思う。

・ライオン/キングは盗作だと思いますか?
 →盗作ではないと思う。ジャングル大帝は動物と人間とのかかわりがテーマになっているが、ライオンキングは動物の世界だけ。
  偶然似ることはあると思う。などなど・・

・バンダーブックの放送でプリントが間に合わなかったという噂がありますが?
 →バンダーブックではなかった。が、ボーダープラネットで、第5ロールでテープのプリントが間に合わずセロテープでとめたということはあった。
・それは先生がこだわられたから?
 →こだわり+マンガの締め切りが重なったから、で、それはいつも同じ理由です。

・国民栄誉賞について色々噂がありますが?
 →それはわかりません。

と、清水さんの講演については以上です。長い><;
しかも自分の字が汚くて何書いてるかわかんないし^^;
とりあえずここまでで一度アップします☆

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